名護屋城博物館

展示案内EXHIBITION

2. 歴史の中の名護屋城

 1592年から7年間にわたって行われた豊臣秀吉による朝鮮侵略(文禄・慶長の役/壬辰・丁酉倭乱イムジン チョンユウェラン)をテーマとしたコーナーで、常設展示の中核的存在です。「肥前名護屋城図屏風(複製)」や、当時の日朝両国の軍船を再現した「安宅船」「亀甲船」、戦争の悲惨さを伝える「鼻請取状はなうけとりじょう」などの資料のほか、桃山時代の文化や出兵時に日本にもたらされた文化についてもご紹介しています。

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肥前名護屋城図屏風(ひぜんなごやじょうずびょうぶ)[部分]

〔16世紀末~17世紀初頭〕
名護屋城や城下町を中央に描くほか、周囲には軍船や大名の陣屋をみることができます。狩野光信によって描かれたと考えられています。
(佐賀県重要文化財)

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安宅船・亀甲船(あたけぶね・きっこうせん)

[復元模型]
日朝両国の軍船を10分の1で復元しています。安宅船(あたけぶね)は「肥前名護屋城図屏風」に描かれたものを再現しています。

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粉青沙器鉄絵魚文瓶(ふんせいさきてつえぎょもんへい)

〔16世紀前半〕
戦いの中、たくさんの陶工が日本に連れてこられました。この資料にみられる鉄絵の技法はのちに唐津焼に大いに活かされました。

洪浩然(こう・こうぜん)〔1582~1657年〕

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 洪浩然は文禄の役に際してわずか12歳で佐賀に連行された被擄人です。
 鍋島直茂・勝茂に仕え、書家・右筆として活躍しました。明暦3(1657)年3月に勝茂が江戸で死去すると、その報に接した浩然は追い腹を切りました。右の書はその直前に子孫への遺訓として記されたものです。
(洪浩然・洪家関係史料 佐賀県重要文化財)

[洪浩然の遺墨]
・千栗ちりく八幡宮 鳥居銘(みやき町)
・与止日女よどひめ神社 鳥居銘(佐賀市)
・徳善院 鳥居銘(佐賀市)
・英彦山神宮 銅造鳥居銘(福岡県添田町) など

洪浩然書「忍」

〔明暦3年/1657年〕