佐賀城本丸歴史館

イベント

第149回歴史館ゼミナール「幕末佐賀藩の近代化政策の起点」

2017年4月23日(日曜日)
 佐賀城本丸歴史館では、歴史館の館長や学芸員等が講師となり、様々な演題を設け、年12回のゼミナール(講演会)を開催しています。

 4月の開催内容は以下の通りです。

<開催内容> 
 「幕末、佐賀藩ほどモダンな藩はない。軍隊の制度も兵器も、ほとんど西欧の二流国なみに近代化されていたし、その工業能力も、アジアでもっともすぐれていた「国」であったことはたしかである。佐賀藩の『文明』にくらべれば諸藩など、およびもつかなかった。」
 司馬遼太郎の小説『アームストロング砲』の冒頭にこう書かれている。勿論歴史小説ではあるが、幕末佐賀藩に対する司馬のこの評価は間違っていない。
 幕末屈指の名君として知られる薩摩藩11代藩主島津斉彬(1809~58)は、嘉永5(1852)年に着手した同藩の反射炉築造・鉄製大砲鋳造事業の中で、失敗が続いた同藩の技術陣に、手紙で「西洋人モ人ナリ、佐賀人モ人ナリ、薩摩人モ同ジク人ナリ。退屈セズ倍々研究スベシ」と書き送った(『斉彬公御言行録』より)。「佐賀人」を「西洋人」と並べ称し、同じ人間だから、我々「薩摩人」もできないことはないと叱咤激励したのだ。
 司馬遼太郎や島津斉彬が、こう評価するほど、佐賀藩10代藩主鍋島直正(斉正・閑叟/1814~71)が推進した同藩の近代化政策が抜きん出ていたことは、議論の余地は無いだろう。
 しかしながら、その成功した近代化政策の「起点」については、これまで真剣な議論がなされてきたとは言い難い。
 特に、「佐賀藩は文化5(1808)年のフェートン号事件を契機に近代化政策を推進した」とする言説が非常に多く見られる。
 直正による近代化政策は、弘化元(1844)年の火術方の設置から本格化すると考えられるが、その36年も前(直正の生まれる6年前)のフェートン号事件が契機となって藩政組織が活性化し成果を生んだというストーリーは、現実社会に置き換えてみると、筆者にはとても信じ難い。
 今回の歴史館ゼミナールでは、幕末佐賀藩の近代化政策を整理し、その起点に関する考え方を述べる。

  • 日時
    平成29年4月23日(日) 13時30分~15時 
  • 場所  
    佐賀城本丸歴史館 外御書院
  • 講師 
    浦川 和也(本館企画学芸課長・学芸員)
  • 定員 
    100名程度
お問い合わせ
 佐賀城本丸歴史館(電話:0952-41-7550)
 ※聴講は無料です。
 ※事前の申し込みは不要です。