名護屋城博物館

イベントEVENT

特別史跡 島津義弘陣跡発掘調査現地説明会を開催します

※このイベントは終了しています。

2019年3月 3日(日曜日) ~ 2019年3月 3日(日曜日)

 佐賀県立名護屋城博物館では、平成28年度から31年度まで(2016~2019年度)の予定で、特別史跡 島津義弘陣跡の発掘調査を実施し、3年目となりました。
 本年度は、島津義弘陣跡の主郭部分から西側の連続した曲輪群にかけて、その構造や機能を明らかにするために、発掘調査を実施しています。今回の発掘調査説明会では、最新の発掘調査成果等について現地にて公開する予定です。
 また、発掘調査現場の他にも、周辺に残る諸大名の陣跡散策を予定していますので、皆様の御参加をお待ちしております。

  1. 開催日時 平成31年3月3日(日曜日)10時30分~12時00分  (受付時間10時から)
  2. 集合場所 波戸岬第一駐車場(唐津市鎮西町波戸954番地)  
         ※雨天時 佐賀県立名護屋城博物館ホール(唐津市鎮西町名護屋1931-3)
  3. 参加方法 事前申し込み不要(当日受付)
  4. 参加費  100円(資料代として)
  5. 見学場所 特別史跡 島津義弘陣跡と周辺陣跡(生駒親正陣跡・佐竹義宣陣跡)
  6. 実施方法 発掘調査の成果や、周辺陣跡を御紹介しながら、島津義弘陣跡周辺を徒歩で散策します。
  7. その他  (1)見学会のコースは、足元の悪いところがありますので、動きやすい服装、運動靴で御参加ください。
         (2)飲料水などは各自御持参ください。
         (2)雨天中止(少雨決行)です。   
            なお、雨天中止の場合は、佐賀県立名護屋城博物館のホールにて、特別史跡 島津義弘陣跡の発掘調査報告会を実施します。
            ※(パワーポイントによる説明)10時40分~11時30分の50分程度

主催/佐賀県立名護屋城博物館
後援/唐津市、唐津市教育委員会、一般社団法人唐津観光協会
協力/名城会、肥前名護屋城を語る会、肥前名護屋城倶楽部

特別史跡 島津義弘陣跡遠景(西から)
  特別史跡 島津義弘陣跡遠景(西から)

島津義弘陣跡主郭東側虎口
  特別史跡 島津義弘陣跡 主郭東側虎口(北西から)

現地説明会見学ルート
  特別史跡 島津義弘陣跡 発掘調査現地説明会見学ルート
主な見学場所
1波戸岬第一駐車場発 2島津義弘陣跡遠景 3~7島津義弘陣跡周辺
8~9佐竹義宣陣跡周辺 10~11生駒親正陣跡周辺 12波戸岬第一駐車場着
※見学路は、天候や道路状況によって変更になることがあります。

島津義弘陣跡の位置
           島津義弘陣跡の位置

島津義弘

天文四年(1535)~元和五年(1619)

島津義弘は、天文四年(1535)父島津貴久の次男として薩摩国(現在の鹿児島県)伊作城で誕生。朝鮮出兵に際して名護屋に着陣し、名護屋城から約3km地点の波戸地区西側(現在の井樋田)に陣屋を構える。

文禄の役では、義弘も渡海しており軍役人数はおよそ1万人とされている。渡海時には、国元からの船が到着せず賃船で釜山に渡ったといわれ、家臣の川上忠智に「日本一の大遅陣」と報じている。到着した島津軍は、釜山から北上し江原道で転戦、戦況の転換や講和交渉の開始とともに朝鮮半島南岸部に撤退している。慶長の役も再び朝鮮半島へ渡り、全羅道や慶尚道を転戦している。慶長三年(1598)の泗川城の戦いでは、義弘が守りを固める泗川城に攻め寄せた明国提督の董一元らの大軍を破り、続く露梁海戦では、朝鮮水軍の将李舜臣を破るなど戦果をあげた。

現在の陣跡には、石垣や石塁、曲輪、虎口等が残っており、近年の発掘調査によって、主郭部北側や東側の虎口の様子も明らかになってきている。

佐竹義宣

元亀元年(1570)~寛永十年(1633)

佐竹義宣は、元亀元年(1570)常陸国(現在の茨城県)の戦国大名佐竹義重の長男として誕生。

文禄・慶長役では、名護屋城から約3km地点の波戸地区東側(現在の波戸丸尾)に陣屋を構え、名護屋在陣衆として参陣している。

佐竹義宣の家臣である平塚滝俊が国元に送った手紙『平塚滝俊書状』や、大和田重清が記した『大和田近江日記』には、佐竹義宣陣の周辺に密集する陣屋の様子や、名護屋の谷々に町が形成されて商人が集う様子、名護屋城の普請や秀頼誕生の注進等について記されるなど、文字史料から、文禄の役当初の名護屋や佐竹陣在陣の様子を窺い知ることができる。

現在の陣跡は石垣で囲まれ、主郭部北西端には石垣の隅角部分が確認できる。また、陣跡西側の斜面地には、幅が約5m深さ2m程の竪堀も残存している。

生駒親正

大永六年(1526)~慶長八年(1603)

生駒親正は、大永六年(1526)美濃国(現在の岐阜県)の戦国大名生駒親重の子として誕生。

名護屋城から約3kmの波戸地区東側(現在の波戸田中)、佐竹義宣陣の北西隣に陣屋を構える。

文禄の役では、福島正則、長宗我部元親、戸田勝隆、蜂須賀家政、来島通之らとともに第5軍として渡海し、慶長の役においては、息子一正が蜂須賀家政、脇坂安治らとともに第7軍として渡海。南原城の戦いや蔚山の戦いに参加している。

現在の陣跡は、特別史跡に指定されており一部公園化されている。陣跡の最高所の主郭部と考えられる箇所には曲輪、陣跡北側や南西部には、石塁跡と推定される箇所などが確認できる。

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