佐賀城のこと

佐賀城の歴史

激動の70年(幕末・維新期の日本と佐賀)

元号西暦主なできごと
天正年間
1573-
1592
龍造寺氏の居城・村中城を拡張、整備する。
慶長13年1608 佐賀城総普請始まる。
慶長16年
1611
佐賀城総普請が完成する。鍋島勝茂、本丸に入る。
享保11年1726 佐賀城大火災、天守閣をはじめ本丸・二の丸・三の丸消失、本丸建物は土蔵のみを残す。
享保12年1727 幕府より佐賀城普請が許可され、二の丸普請に着手する。
享保13年1728 二の丸の完成、藩政の中心となる。
天保 6年1835 佐賀城大火災、二の丸焼失。
鍋島直正本丸再建を表明し、建設に着手する。
天保 8年1837 本丸御殿上棟
天保 9年1838 本丸御殿竣工、直正本丸に入る。
明治 2年1869 佐賀藩庁設置(版籍奉還による)。
明治 4年1871 佐賀県庁設置(廃藩置県による)。
明治 7年1874 佐賀の乱(佐賀戦争) 本丸は焼失を免れる。
佐賀裁判所設置。
明治16年1883 佐賀中学校、本丸跡に移転する。
明治19年1886 佐賀県尋常師範学校、本丸跡に新築移転する。
明治20年1887 天守台上に佐賀県立測候所が開設される。
明治40年1907 佐賀市立商業学校設置、本丸の敷地東半分を利用。
(大正11年に県立に移管)
明治42年1909 赤松尋常小学校、本丸跡の建物を仮校舎として移転する。
昭和28年1953 「佐賀城鯱の門及続櫓」佐賀県重要文化財に指定。
昭和32年1957 「佐賀城鯱の門及続櫓」国重要文化財(建造物)に指定。
昭和33年1958 御座間を水ヶ江大木公園に南水会館として移転する。
平成13年2001 「旧佐賀城本丸御座間・堪忍所」佐賀市重要文化財(建造物)に指定。
「佐賀城跡」佐賀県史跡に指定。
佐賀県立歴史資料館(仮称)建設着工。
平成16年2004 佐賀県立佐賀城本丸歴史館開館

佐賀藩関係年表

元号西暦国内・海外の動き佐賀藩の動き
天保元年1830 鍋島直正、10代佐賀藩主となる。
天保 2年1831 古賀穀堂、「済急封事」を提出。
天保 6年1835 佐賀城二の丸火災、藩政改革本格化。
天保11年1840 アヘン戦争(~1842) 藩校弘道館を移転拡張、長崎警備の体制を強化。
天保13年1842 天保の薪水給与令 蔵入地に加地子猶予令を出す。
弘化元年1844 オランダ国王の開国勧告 火術方設置、オランダ式の銃陣を採用、直正がパレンバン号に乗船。
嘉永 2年1849   佐賀城本丸内で種痘を実施。直正、嗣子淳一郎(後の11代藩主鍋島直大)に接種させる。
嘉永 3年1850   大銃製造方設置(築地反射炉)、文武課業法を定める。
嘉永 4年1851   蘭学寮設置、医業免札制度開始、神ノ島四郎島填海工事着手
嘉永 5年1852   鉄製大砲鋳造に成功。精煉方設置
嘉永 6年1853 ペリー浦賀来航
プチャーチン長崎来航
幕府からの鉄製大砲の注文を受け、公儀石火矢鋳立所設置(多布施反射炉)
安政元年1854 日米和親条約締結 御番方で蒸気船製造を計画
安政2年1855 長崎海軍伝習所開設 佐賀藩士、オランダ海軍の伝習に参加、精煉方で蒸気船・蒸気車の雛形(模型)製作に着手。
安政 5年1858 日米修好通商条約
安政の大獄(~1859)
三重津に船手稽古所を設置
万延元年1860 桜田門外の変 幕府遣米使節団に佐賀藩士随行
文久元年1861   鍋島直正隠居(閑叟)、直大家督を継ぐ
文久 2年1862 坂下門外の変 幕府上海視察団に佐賀藩士随行
文久 3年1863   幕府注文の蒸気缶(ボイラー)完成
元治元年1864 第1次長州征討 佐賀藩士、イギリス軍艦で砲術の伝習を受ける。
慶応元年1865 軍制改革 三重津で凌風丸完成
慶応 2年1866 薩長同盟
第2次長州征討
 
慶応 3年1867 大政奉還
王政復古の大号令
第2回パリ万博参加
長崎に英学研修のため蕃学稽古所を設置(翌年に致遠館と改称)
慶応 4年1868 鳥羽・伏見の戦い
(戊辰戦争始まる~1869)
佐賀藩、新政府軍に参加
上野戦争等でアームストロング砲使用
明治 2年1869 五稜郭の戦い
版籍奉還
鍋島直正、蝦夷開拓督務になる
明治 4年1871 廃藩置県 鍋島直正没
明治 6年1873 徴兵令  
明治 7年1874 民撰議院設立の建白書 佐賀の乱(佐賀戦争)
明治 8年1875 立憲政体樹立の詔  
明治 9年1876   佐賀県を廃し三潴県(その後三潴県から長崎県)へ移管
明治10年1877 西南戦争  
明治16年1883   佐賀県、長崎県から分離独立