佐賀城のこと

女性の手習い――否定する「ない」でなく、肯定する「ない」――

女性の手習い――否定する「ない」でなく、肯定する「ない」――

 福岡義辨(ふくおかぎべん)の家内も同様に大木さんの奥さんとは至て懇意で有りました。(こ)れも同町です。左様さう云ふ風に拙者(せっしゃ)と大木母氏との間柄は、十二三歳に相成(あいな)時分(じぶん)からは手習(てならい)一所(いっしょ)(まい)つたものですから、愈々(いよいよ)親密でした。同町内の方から申すと朋友(ほうゆう)でありますし、(また)同門手習の方から申すと学友ですよ。
手習の師匠の姓名ですか。江口大五郎と申します。
右の事は福岡も(よ)く承知をして(お)ります。拙者よりも能く承知をして(い)ますともね。ないない。
(『大木喬任伝記資料談話筆記』より)
※よみがなの( )の箇所は筆者がルビを付した。原典は旧かな表記であるが、( )内は新かなを用いた。

 幕末佐賀藩士の女児たちが12、13歳(数え)から手習い塾に通っていた実情を具体的に知ることができます。武家全部かどうかはわかりませんが......。語った人は大島稽介おおしまけいすけという人です。大島稽介は佐賀藩出身者で、明治初期に東京府の行政に携わった人物です。
 佐賀城本丸クラシックス『大木喬任伝記資料談話筆記』は、明治政府で大木喬任おおきたかとうと交友があった明治政府の有名人、佐賀藩出身者たち計61人の談話を収録しています。そのなかで佐賀藩出身者の談話には、他では知ることができない武士の暮らしや藩校弘道館の逸話、秘話が多く含まれています。ぜひご一読ください。
 さて、引用部最後に「ないない」と記されていますが、じつはこの「ないない」は佐賀の方言で、「そうです、そうです」の意味に近いのです。すこし前までは佐賀の年配の人は、しばしば「ないない」と言いながら頷いたものです。否定する「ない」でなく、肯定する「ない」。現在は佐賀の若者でも反対の意味に読むかもしれません。(古)

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