佐賀城のこと

発掘調査報告

佐賀城本丸御殿「奥」エリアの解明に向けて!~佐賀城本丸御殿跡調査研究事業とは~

 天保6年(1835) の火災後に10代藩主・鍋島直正が再建した佐賀城本丸御殿は、藩政を営む施設と藩主の居住空間を兼ねた、佐賀城の中心的な建物でした。佐賀城本丸歴史館では、これまで未解明であった御殿の「奥」のエリア(藩主らの生活空間/ 「奥」及び「内」の一部) の実態解明を目指し、令和5年度から「佐賀城本丸御殿跡調査研究事業」を進めています。令和5・6年度は建築や文献・絵図等の調査を実施しました。
 令和7年度からは2カ年の計画で、「奥」のエリアやそれに付随する「庭園」の発掘調査を行っています。

佐賀城本丸御殿の空間構成~ 「奥」、そして「庭園」はどこか~

 本丸御殿は、エリアによって受け持つ役割が異なります。大きく分類すると、公式行事等を行う応接空間である「表(おもて)」、藩の行政機構である「外(そと)」、藩主の執務や日常生活の空間であり藩主や側近が入る「内(うち)」、藩主にかかわる女性の居住空間である「奥(おく)」の4つに分けられます。
 令和7年度に発掘調査を実施しているのは、本丸御殿に付随し設えられたとされる「庭園」部分です。絵図などの資料ではその詳細をうかがい知ることはできませんが、明治期に撮影されたとされる古写真には、「御座間・御小座」等の建物の南側に池泉(ちせん) を配する「庭園」が写されており、その実態を解明することを目指しています。
 また、令和8年度には本丸の中でも最も奥まった南側一帯を占めている「奥」の発掘調査を計画しています。「奥」エリアは稀代の名君として知られる鍋島直正のプライベート空間でもあることから、調査研究を通じて、その人となりをより明らかとする貴重な成果を得ることを期待しています。


佐賀城本丸御殿における空間構成の概要

古写真から本丸御殿の庭園には、池泉や石灯篭、梅や松等の植栽、玉石を敷きならした洲浜(すはま)の様子が写されています。
また、石灯篭は池泉のそばに据えられた雪見灯篭であり、江戸時代中期に広く普及した作庭書である『築山庭造伝』には、「京、大坂は大方六足四足なり」との記載があることから京・大坂で好まれた様式が用いられたことが分かります。
この庭園は、「御座間・御小座」から鑑賞する池泉式庭園であったと考えられます。


佐賀城本丸の庭園と御座間・御小座古写真(佐賀市立赤松小学校蔵・本館寄託)