編集餘話――佐賀城本丸クラシックスこぼれ話――
田中不二麿が草創期の文部、司法の舞台裏をコメント
佐賀城本丸クラシックス3『大木喬任伝記資料談話筆記』(重松優編、二〇二三年刊)には、大木喬任に関係した名士六十一名の談話を収録している。聞き言葉をそのまま筆録してあるため、人物独特の話っぷりや発話の調子がふしぶしに垣間見られる。
田中不二麿は、弘化2年生まれ、尾張の人で、岩倉使節団に随行し、とくに文部、司法において活躍した。経歴が大木喬任と重なっているため、そうした立場から関係者にしか知られない内輪の話を明かしている(明治三十四年十一月九日訪問)。たとえば、師範学校を六ケ所設置したのが田中かどうか聞かれると、
それは拙者の考案ではなくつて、前代からの成案を拙者の時代に実行したまでであります、......
まわり合せと云うものは妙なもので、骨を折たる人が名を出さずに済み、骨を折らない人が一寸交代して顔を出したが
為めに名誉ある地位に据はる事があります。(同書「談話筆記」より)
と答えている。快活な話しぶりからは田中の人柄がしのばれる。
なお、「田中子爵」として他の人物たちの談話にも散見され、その人物を伝えている。(古)