佐賀県立博物館|佐賀県立美術館

REPORT学芸員だより

「最上大業物 忠吉と肥前刀」展、展示替えを行いました!

2019年06月04日 展覧会

博物館3号展示室で開催中の「最上大業物 忠吉と肥前刀」展。
5月末から6月はじめにかけて、展示資料の一部入れ替えを行いました!

後期展示の目玉は、この刀。
八代忠吉の弟子、吉包(よしかね)が作った、佐賀藩出身の幕末の志士、江藤新平(えとうしんぺい)の佩刀(はいとう:身につけていた刀)です。
江藤新平は、明治新政府で司法制度や学校制度の改革に携わり、大きな功績を残した、「佐賀の八賢人」の一人です。



この刀、よく見ると珍しいことに、刀身には何か文字が彫られています。
「遠くは神武の遺蹤(いしょう)を履(ふ)み、近くは天智の基業を襲う」
つまり...、古来の天皇の偉業を手本として、明治天皇とともに新しい時代を作り出していくぞという、江藤の勤皇の心意気が込められた言葉なのです。



この刀にまつわるエピソードをご紹介します!
実は、この刀と同じように勤皇の文が彫られた刀を、島義勇(しまよしたけ)も所有していました(佐賀県立博物館蔵)。同じ刀工が同じ時期に作ったようで、同郷出身で親交の深かった二人が、いわゆる「お揃い」であつらえたものと考えられています。
またこの刀、他の日本刀と比較すると、切先(刃の先端部分)が大きく幅が広いことが特徴で、天皇親政が行われた南北朝時代の刀を思わせる豪壮な作りになっています。
江藤は、南北朝時代の代表的な天皇である後醍醐天皇を支えた楠正成(くすのきまさしげ)を崇敬する「楠公義祭同盟(なんこうぎさいどうめい)」のメンバーでもありました。この刀は、彫られた文字やその姿から考えても、実用や護身用というよりは、いわば江藤にとっての「特別なお守り」のようなものだったのではないか、と考えられます。
江藤の精神的な拠り所も垣間見える、とても貴重な資料だといえます。

ほか、展覧会には、鐔(つば)など、計約17点の資料が新しくお目見えしています。
刀身を彩った華麗な文様や透かし彫りの鐔にも、ぜひご注目くださいね。





さらに...速報です!
「刀のことをもっと詳しく知りたい!」というお客様からのご要望にお応えして、肥前刀の世界をより深く知ることのできる関連イベントを、6月下旬に計画中です。
詳細が決まり次第こちらのWebサイトでもご案内しますので、こちらもどうぞお楽しみに!