佐賀県立博物館|佐賀県立美術館

REPORT学芸員だより

懐かしの⁉︎東京の風景 〜資料紹介・池田幸太郎《隅田川》〜

2020年04月30日 展覧会

緊急事態宣言の全国拡大を受け、4月21日より、佐賀県立博物館・美術館も臨時休館を行なっています。
来館者の皆様にお会いしたり、展示をご覧になっていただくことができず、館員一同、本当に残念に思っています。が、今は最善の対策を取り、この状況が一刻も早く収まることを祈るしかないですね。

さて、残念ながら会期途中にて休館に入ってしまった、美術館の「佐賀・日本画の眺望−池田幸太郎・野口健次郎・立石春美-」と「新収蔵品展」。
オンライン上でも展覧会の雰囲気の一端を少しでもお伝えするべく、今回は、学芸員のレポート形式で展示作品の紹介を行なっていきたいと思います。

今回紹介するのは、「佐賀・日本画の眺望」にて展示していた、池田幸太郎の《隅田川》(1933年)という作品です。

池田幸太郎《隅田川》.JPG

東京を代表する河川・隅田川を中心に、東京の街のようすや人々の営みを活写した大きな作品です。
上空から街を俯瞰するような本作の形式は、戦国時代から江戸時代に描かれた「洛中洛外図屏風」や、江戸期の浮世絵にも用いられた、日本の伝統的な描法を継承したものといえるでしょう。
佐賀川上郡(現在の佐賀市川上町)に生まれた池田幸太郎は、1913(大正2)年に18歳で画家を目指して上京。東京美術学校で日本画を学び、根津や世田谷に暮らしながら東京の風景や風俗を数多く描きました。

本作では、当時の街や人々のようすが細かいところまで描きこまれており、それが大きな魅力のひとつとなっています。
例えば橋の上には...

《隅田川》部分.JPG

《隅田川》部分2JPG

たくさんの人々に交じって、車や路面電車も行き交っています。
中には重そうな丸太を運ぶ馬の姿まで!
この作品が描かれた1933(大正8)年、馬はまだ庶民の暮らしの一部だったのですね。

《隅田川》部分3.JPG

色鮮やかな日傘を差し、連れ立って歩く女性たち。
いまにも賑やかな話し声や笑い声が聞こえてきそうです。
帽子に涼やかな服装の人々の姿が目立ちます。おそらく季節は夏でしょうか。

《隅田川》部分4.JPG

橋の下には、蒸気を吐いて進むポンポン船(懐かしい!)や...

《隅田川》部分5.JPG

小さな帆かけ舟の姿もあります。

《隅田川》部分6.JPG

船着き場には小舟がずらり。当時、隅田川は物流の大動脈として東京の経済を支えており、たくさんの船が人や荷物を載せて行き交っていたといいます。

《隅田川》部分7.JPG

近代的な工法で建造された大橋の姿も。当時の東京のシンボルのひとつといえます。
浅草橋、言問橋、勝どき橋、両国(橋)、桜橋など、今も、隅田川の両河岸には、橋にちなんだ地名が数多く残っています。

《隅田川》部分7.JPG

河岸にあった蔵(倉庫)街も描かれています。
江戸時代にはこの地に幕府の米が蓄えられ、米倉が数多く建ち並んでいました。ここに描かれているのもおそらくその蔵並みでしょう。現在はここ、「蔵前」という地名で知られていますね。
朱色で描かれているのは、赤レンガの倉庫が多かったからなのでしょうか。

《隅田川》部分8.JPG

奥に見える大きな寺社。地理的に、浅草寺ではないかと考えられます。東京を代表するお寺として、庶民の信仰を集めていました。

...このように、細部まで賑やかで見飽きない池田幸太郎作品。
館が再開した折は、ぜひ皆さんにも、展示室で作品を直接鑑賞して、楽しんでいただければ嬉しいです。
自分だけのお気に入りの場面を、ぜひ見つけてみてくださいね。

佐賀県立博物館・美術館では、再開館までの間、ミュージアムダイアリーや公式Facebook、メールマガジンを通じて館蔵資料の紹介や休館中の活動のようすを皆様にお届けしていきます。
どうぞお楽しみに!