佐賀県立博物館|佐賀県立美術館

REPORT学芸員だより

【THIS IS SAGA】ミュージアム・ダイアリーにて、旧石器・縄文時代~明治時代までの展示を紹介していきます。

2020年10月13日 

 現在開催中の博物館50周年特別展『THIS IS SAGA』をより楽しく見ていただくために、ミュージアム・ダイアリーにて、旧石器・縄文時代から明治時代の展示内容について各時代の担当学芸員が紹介。随時、掲載していきますので、お楽しみに!

 今回は旧石器・縄文時代の展示紹介です。

約8,000年前、博物館は有明海の中であった!! 東名遺跡は有明海の最も湾奥にあった!

 50周年特別展では、2つの海(玄界灘と有明海)を介しての国際交流をテーマに展示を行っていますが、展示の途中途中に通称「島展示」と呼ばれる独立した展示スペースがあります。壁面の展示は、旧石器時代から明治時代にかけて時代ごとに色分けし、主に海外との交流の歴史を示す「文化財」(本物の資料)を展示していますが、このストーリーに当てはまらないところは独立した展示「島展示」となっています。

縄文時代の島展示image0_21913_marked.jpg

旧石器時代・縄文時代の「島展示」の様子

 旧石器時代・縄文時代の「島展示」は、東名遺跡から出土した約8,000年前の編み籠の展示ゾーンです。

 東名遺跡は、東アジア最古の湿地性貝塚ですが、あまりにも古すぎて、他との関連が未だよくわかっていません。これから、縄文時代早期の発掘調査事例が増え、調査研究が進むと東名遺跡と海外との交流が明らかになっていくことでしょう。

図3 縄文海進ピーク時期の筑紫平野(縄文海進)_14783_marked.jpg縄文海進ピーク時の有明海と東名遺跡 (画像提供:佐賀市教育委員会)

  まず、東名遺跡の位置ですが、現在は佐賀市金立町千布の巨勢川調整池がある場所です。ちなみに現在、県立博物館がある位置は、当時、有明海の中であったことになります。佐賀平野の大半は、有明海の中であったわけです。

 当時の縄文海進時の海岸線を示す図面では、東名遺跡は有明海の最北に位置します。北側には脊振山地があり、森の恵みが、南には有明海が展開し、まさに、まえうみである豊饒の海からいろいろな海産物が手に入ったことでしょう。なお、この東名遺跡からは、スズキ・ボラ・クロダイやムツゴロウの骨、ヤマトシジミ・ハイガイ・カキなどが出土しています。クジラの骨も出土しています。(これは、弱ったクジラが打ち上げられたものと考えられています。)

図1 東名縄文人のくらし復元画(画:早川和子)イラスト_14840_marked.jpg 東名縄文人のくらし復元画 (画:早川和子)〈画像提供:佐賀市教育委員会〉

 森の恵みを示すものとして、ドングリ・クヌギ・イチイガシ・オニクルミなどの堅果類やシカ・イノシシ・イヌの骨など多種多様な食料が出土しています。東名は山の幸・海の幸の両方が手に入った場所でした。

 当時の縄文時代の東名は、早川和子氏の復元画で見て取れます。ムクロジなどのヘギ材をもとに籠を編んでいる人たち、その編み籠を穴を掘って埋めようとしている人々、海辺ではその編み籠を管理している人、有明海では魚を取っている人など、東名の縄文人が生き生きと描かれています。

 今回の展示は、奇跡の技術「8,000年前の編み籠」―有明海沿岸「東名」のくらし― と題して、1994年、発掘調査で出土した縄文時代早期(約8,000年前)の編み籠を発掘調査による出土状況のまま展示しています。展示品は、発掘品の水分をアルコールと置換すること(高級アルコール法)によって、出土したそのままに遺物の保存処理を行ったものです。

 これをもとに、復元した編み籠も展示していますので、是非、展示室で見比べてみてください。約8,000年前の縄文人の技術の高さを是非、感じ取ってください。

 偶然に約8,000年前、東名貝塚がそのままにパックされた奇跡、それが無傷で現代、発見された奇跡、そして約8,000年前の縄文人の生活文化を具体的に復元できる奇跡、それが、奇跡の技術「8,000年前の編み籠」なのです。

(文責:当館学芸員 松尾 法博)