佐賀県立博物館|佐賀県立美術館

REPORT学芸員だより

【THIS IS SAGA~弥生時代編~】石包丁はどのように使われたの?

2020年10月26日 展覧会

現在開催中の博物館50周年特別展「THIS IS SAGA」をより楽しく見ていただくために、ミュージアム・ダイアリーにて、旧石器・縄文時代から明治時代の展示内容について各時代の担当学芸員が紹介。
今回は、弥生時代の展示内容からご紹介します。

石包丁はどのように使われたの?

弥生時代は、対外交流が本格的に始まった時代です。
今から約2,600年前に、コメ作りの技術が朝鮮半島南部から伝わってきました。
佐賀を中心とした北部九州で始まった稲作には、水田に水を引き入れる灌漑設備(かんがいせつび)が確認されているなど、高度な技術が備わっていました。稲作が伝わった当時の鋤(すき)や鍬(くわ)などの道具も現在の形と変わらないものが多く、これらの農具がどのような形で使われていたか一目瞭然です。

ただ、弥生時代の遺跡から発見されるものの、現在まで伝わっていない道具もあります。その一つが石包丁(いしぼうちょう)です。

朝鮮半島産の石包丁.jpg


石包丁には「包丁」という名前がついていますが、実は、現在の野菜や肉を切るといった包丁と同じような使い方はしません。農具の一つなのです。
この石包丁は、いったいどのように使われたのでしょうか。

コメ作りが開始された初期の稲作遺跡からは、この石包丁が見つかっています。石包丁は、半月形または三日月の形をした石製品で、縁の一部を磨いて刃部を作ります。また、手首に固定するための紐を通す二つの穴を開けていることが一般的です。

今回、展示している唐津市の菜畑遺跡(なばたけいせき)の石包丁は、刃部に並行して、擦り切り状の切れ目が入れられてありますが、この切れ目は朝鮮半島の石包丁に特有にみられるものです。
現在の水田では、コンバインで一斉に稲刈りを行いますね。コンバインが普及する前は、鎌を用いて稲刈りを行っていました。ところが弥生時代には、稲刈りは行われていませんでした。
実は弥生時代の稲は、植えた時期が一緒でも稲穂(いなほ)が一斉に実ることがありませんでした。
収穫の時期になると、毎日水田に入り、熟れた稲穂だけを刈り取る道具が石包丁なのです。

稲穂を刈り取った稲を税金として納める「穎稲」(えいとう)が奈良時代の古文書に記されており、稲穂のみを刈り取る収穫方法は、少なくとも奈良時代まで続いていることが分かっています。
今回の特別展を通して、古代の人々はどのような道具を使っていたのか、思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

(文責:当館学芸員 細川 金也)