佐賀県立博物館|佐賀県立美術館

REPORT学芸員だより

【THIS IS SAGA ~明治時代編~】明治生まれの油絵は「丈夫」だった-百武兼行の油彩画、その技術の秘密

2020年11月02日 展覧会

現在開催中の博物館50周年特別展「THIS IS SAGA」をより楽しく見ていただくために、ミュージアム・ダイアリーにて、旧石器・縄文時代から明治時代の展示内容について各時代の担当学芸員が紹介。
今回は、明治時代の展示内容からご紹介します。

明治生まれの油絵は「丈夫」だった-百武兼行の油彩画、その技術の秘密

今回の特別展「THIS IS SAGA」では、佐賀生まれで日本人として最も早い時期にヨーロッパで油絵を学んだ画家、百武兼行(ひゃくたけかねゆき)の優品2点をご紹介しています。
こんにち、日本近代洋画の先駆者として高い評価を得ている百武兼行ですが、その評価をささえるもののひとつに、彼の油絵(油彩画)に一貫して見られる技法上の特徴があります。

百武の油絵は、保存環境の違いによる差はあるにしても、いずれも絵具の層が非常に丈夫で、剥がれや割れ、粉化等の「傷み」が、実に少ないのです。

昭和49年、フランス修学時代の代表作《マンドリンを持つ少女》(佐賀県重要文化財、公益財団法人鍋島報效会所蔵)をはじめ、数点の百武の油絵が修復を受けました。その際、絵の表面の汚れを除去するために特殊な溶剤を使用したのですが、百武の油絵の絵具は、固着力が抜群に優れていて、どんな修理用溶剤にも反応しなかったそうです。(絵具の固着力が弱い絵だと、溶剤で絵具まで溶けてしまうのです)
それはまるで、漆芸(うるし)を思わせるような頑丈さで、彼の洋画技術の確かさを示すものです。

リンシードオイル(乾性油)と樹脂を十分に含ませた絵具は、優れた固着力、結合力を発揮し、インパスティング(盛り上げ)とグレージング(おつゆ描き)を重ねることによって、繊細で深みのあるマチエール(絵肌)が生まれます。
これらの技術は印象派の時代以前から見られた洋画の伝統的な技法であり、百武はヨーロッパへの留学期間中に、それらを見事に習得していたのです。

百武兼行《老婦人像》

(百武兼行《老婦人像》 明治12(1879)年頃
油彩・カンヴァス 41.0×32.0cm 佐賀県立美術館蔵
昭和49年に修復を受け、表面の汚れが除去され、カンヴァスは補強のため裏打ちがされた。絵具の固着の状態は最良であった。)

百武が亡くなった明治20年代以降、黒田清輝をはじめとした日本人画家たちがこぞってヨーロッパに渡り洋画を学びました。その頃のかの地の洋画界は、外光派、印象派などの台頭という変革の時代を迎えており、日本人画家たちはこぞってその流れに身を投じていくことになります。結果、百武が学んだような伝統的、アカデミックな技法はその後次第に省みられなくなっていきます。
けれども、ヨーロッパのアカデミズムの技術と精神を果敢に学んだ百武の存在は、以降の日本の洋画家たちにとって大いなる道標となるのです。明治~昭和にかけて、日本近代洋画の大家として活躍した岡田三郎助は、幼い頃より「同藩の大先輩百武兼行の影響を受くる所多く、子供ながら陰影を入れた絵など描いていた」と、後年語っています。

現在、美術館のOKADA-ROOMでは、岡田三郎助の名品とともに、当館蔵の百武兼行作品も展示し、「先輩と後輩の競演」も実現しています。
ヨーロッパ仕込みの確かな技術に支えられた、百武作品の繊細な絵肌にも、ぜひ注目してみてくださいね。

( 参考文献:歌田真介・森田恒之「油絵修理報告」(『佐賀県立博物館報』昭和50年9月))
(文責:当館学芸員 野中耕介)