佐賀県立博物館|佐賀県立美術館

REPORT学芸員だより

【THIS IS SAGA~江戸時代編~】若冲が慕った売茶翁

2020年11月02日 

 現在開催中の博物館50周年特別展「THIS IS SAGA」をより楽しんでいただくために、ミュージアム・ダイアリーにて、旧石器・縄文時代から明治時代の展示内容について各時代の担当学芸員が紹介。
今回は、江戸時代の展示内容からご紹介します。

若冲が慕った売茶翁

 江戸時代は、幕府の政策により外国からの貿易を縮小した時期でした。
その中で貿易が許されたのがオランダと中国(清国)の二つの国です。佐賀藩は福岡藩と毎年交互に、長崎港の警備を任されたことで、海外の情勢や最新の文化を敏感に感じ取り、一早く取り入れることができました。
 中国よりもたらされた文化のうち、黄檗宗という禅宗があります。黄檗宗が江戸時代に伝えられると瞬く間に全国に広まります。佐賀藩は全国で2番目に多くの黄檗寺院を建ています。そのような背景から、黄檗宗の僧で、佐賀出身の売茶翁(ばいさおう)が京都で活躍するようになるのです。

 今回のミュージアム・ダイアリーは伊藤若冲筆《売茶翁像》についてご紹介します。

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伊藤若冲筆《売茶翁像》個人蔵

 売茶翁は、蓮池出身の黄檗宗の僧です。蓮池藩鍋島直之の創建した龍津寺の住持でしたが、僧をやめて、61歳頃、京都で茶店の「通仙亭」を開いて煎茶を売り、売茶翁の名で評判になります。売茶翁のもとには、相国寺の大典和尚ら禅僧を始め、画家の池大雅など当代一流の文化人との交流がありました。中でも、京都で活躍した画家の伊藤若冲とも交流を深めました。
 若冲が描いた《売茶翁像》で、本展覧会で出品している作品は佐賀県で初公開となります。若冲による売茶翁の肖像画は10点近く残っており、誰よりも多く描いた若冲が売茶翁を慕っていたことがわかります。
 若冲の代表作である《動植綵絵》(三の丸尚蔵館蔵)30幅の内3幅(「池辺群中図」、「蓮池遊漁図」「牡丹小禽図」)には、「丹青活手妙通神」という印が捺されています。これは売茶翁が1760年に《動植綵絵》を制作中であった若冲に贈った書の言葉で、「若冲の優れた画技は神に通じる」という意味です。若冲はその絶賛した書の7字を印刻し、作品に用いています。
 また、若冲という雅号の他には、米斗翁(べいとおう)という号があり、その名からも売茶翁の名にならって名乗ったことが考えられます。

 展示会場では、主に佐賀と中国とオランダ、両国の関わりの中で培われた交流品を見ることができます。佐賀を代表する焼き物「有田焼」は中国の景徳鎮窯やヨーロッパ諸国の窯の陶磁器を並べて展示していますので、見比べながらご観覧いただけます。
 また、武雄領主鍋島茂義(1800-62)によって買い求められた最新の人工合成の絵具、プルシアンブルーやウルトラマリンマリンブルーは、江戸時代の絵具が残っている貴重な資料です。


最終日となりましたが、是非ご来館していただき、各時代の佐賀の魅力をどうぞご堪能ください。

(文責:当館学芸員 安東慶子)