縄文アラカシの「育ての親」原信義さんご夫妻来館
佐賀県立博物館の東側に「縄文アラカシ」と名札の付いた10メートルの大木があります。
昭和42(1967)年に西有田町(現有田町)の「坂の下遺跡」(縄文時代後期、今から約4,000年前)でアラカシの実が多数出土しましたが、当時、このアラカシの実の一部を地元の人が譲り受けて自宅に保管していたところ、翌43年7月に発芽したということです。
発芽したアラカシは、佐賀大学農学部や県の林業試験場(現林業試験研究センター)で鉢植えのまま育てられた後、昭和45年に県立博物館に移され、50年に鉢から県立博物館東側の庭に移植されました。
当時、林業試験場でアラカシの生育に尽力したのが、樹木医で元林業試験場長の原信義さん(79歳)。
この日は、佐賀新聞社の原陽子記者が、同紙金曜版「地域の話題」の「のこしたいさがの木」欄で、この縄文アラカシを紹介しようと、原信義さん・千賀子さんご夫妻とともに来館されました(同姓は偶然とのこと)。
原信義さんは、「当時、県のトップから絶対に枯らしたらいけないと言われ、休日にも出てきたりしながら、緊張感をもってこの木の世話をした。昭和50年にアラカシ広場に植えたところ、配水が悪かったのか、本植えした翌年(昭和51年)に、急に枝が枯れ、変色し始めた。掘り返して、半分に川砂利を敷き腐葉土を入れたら、持ち直してくれた。今、このように大きく成長し、本当に安堵している。きれいに手入れしていただき、あらかしコンサートなどで県民のみなさんに親しんでいただいており、感謝している」と語っておられます。
(浦川)
※原陽子記者による「のこしたいさがの木11-縄文アラカシ(佐賀市)-」は、2010(平成22)年6月11日(金曜日)付けの佐賀新聞25面に掲載されています。