収蔵品
名護屋城博物館のおすすめ収蔵品をご紹介します。
高麗金板経(こうらいきんばんきょう)
制作地:朝鮮半島
時代:高麗時代
形状:金板(11枚連結)
本体寸法:縦12.0センチメートル /横12.0センチメートル
本資料は金製の経典で、観世音経の経文を浮き上がらせた11枚の薄い方形の金板を蝶番で屏風形に連結させたものである。経文は金板の裏に経文を彫刻した木版(もしくは金属板)を押し当てて丹念に打ち出している。朝鮮半島では、統一新羅時代から高麗時代にかけて末法思想の影響で、経典を末法に正しく伝えるために石塔の下部に経典や仏舎利・仏具などを埋納する風習が流行しており、本資料も資料の状況から埋納されていたものと推定される。経文の文末の年号を欠くために、正確な年代は不明であるが、金板の法量や蝶番の連結技法などから高麗時代の製作と考えられる。
鳥形土器(とりがたどき)
制作地:朝鮮半島慶尚南道南東部か
時代:朝鮮三国時代
形状: 土器
本体寸法:高さ・大28.8センチメートル
この土器は、三国時代に朝鮮半島南東部にあった加耶とその周辺で用いられたもので、水鳥をかたどっている。3~4世紀の慶尚南道南東部のものと思われる。当時の墓からは2点セットになって発見されることが多いため、一対で儀式や死者に捧げられた容器であったと考えられている。中国の歴史書である『魏志韓伝』によると、この地域では鳥は死者の魂を霊界に運ぶものと信じられていたという記述があり、この鳥形土器は、そのような思想を反映しているといえる。
金銅如来立像(こんどうにょらいりつぞう)
制作地:朝鮮半島
時代:統一新羅時代
形状 仏像
本体寸法:高さ・大24.3センチメートル
新羅の仏教は中国仏教の影響が強く見られ、特に8世紀代は中国盛唐の仏像の様式がもたらされた。大きめの角張った顔、やや張った肩、くっきりした眉の線、口元の繊細な微笑、左右対称でありながら重厚で動的な印象を与えている点が9世紀後半の新羅仏の特徴をよくあらわしている。
北政所宛豊臣秀吉自筆書状(きたのまんどころあてとよとみひでよしじひつしょじょう)
時代:桃山時代
指定の種類:重要美術品
形状:掛幅
本体寸法:縦28.0センチメートル/横90.5センチメートル
本資料は、豊臣秀吉が、文禄の役に際して在陣していた名護屋から、文禄2(1593)年5月22日におね(北政所)あてに出した手紙である。主な内容としては、明の使節が謝罪のために名護屋に来て講和のための条件を提示したこと、一方で秀吉が朝鮮半島に日本の城の建設を命じていること、追伸の中で秀吉が風邪をひいていると述べていること、淀君の懐妊についておねへ配慮していることなどが挙げられる。
文禄の役の和平交渉の最中の実情や、秀吉のおねへの心配りなどがわかる貴重な資料である。