名護屋城博物館

展示案内EXHIBITION

[テーマ展] 文禄・慶長の役と佐賀の被擄人(ひりょにん)

※この展覧会は終了しています。

2016年6月10日(金曜日) ~ 2016年7月24日(日曜日)

洪浩然画像
洪浩然画像(部分)

 名護屋城跡そして周辺に点在する陣跡は、豊臣秀吉による大陸侵攻(文禄・慶長の役)の出兵拠点として築かれた城郭の遺跡です。7年におよんだ文禄・慶長の役では、日朝双方で多くの命が失われただけでなく、朝鮮半島の人々が日本各地へと多数連れてこられました。これらの人々は「被擄人」(ひりょにん)と呼ばれ、日本の文化や歴史に大きな影響を与えています。

 佐賀県でも、朝鮮陶工の技術による影響が大きく、いわゆる「李参平」(りさんぺい)が創始したとされる初の国産磁器・有田焼(伊万里焼)や茶陶としても好まれる唐津焼などの陶磁器産業が発展しました。また、能書家として活躍した「洪浩然」(こうこうぜん)、鍋島更紗(なべしまさらさ)を創始したと伝わる「九山道清」(くやまどうせい)なども知られています。

 本展覧会では、有田焼創業400年の節目を契機として、佐賀県における被擄人たちの足跡を御紹介します。

展覧会名 異郷に生きて ―文禄・慶長の役と佐賀の被擄人―
会期 2016年6月10日(金曜日)~7月24日(日曜日)
会場 佐賀県立名護屋城博物館 企画展示室
観覧料 無料
主催 佐賀県立名護屋城博物館
休館日 月曜日(ただし6月27日、7月18日は開館、7月19日は休館)

展示構成

(1)すべては名護屋から始まった
(2)戦場の涙
(3)佐賀の被擄人たちの足跡
(4)
朝鮮通信使へ

 展示点数 約80点

関連行事

学芸員による展示解説
日時:2016年6月19日(日曜日)、7月17日(日曜日)
   ともに15時15分~16時
   ※同日開催予定の「なごや歴史講座」が終了した後に行います。
参加料:無料

その他

会期中に次のイベントを開催します。

(1)大河ドラマ「真田丸」巡回展
  会期:2016年6月24日(金曜日)~7月3日(日)
  観覧料:無料
  詳細は大河ドラマ「真田丸」巡回展のページをご覧ください。

(2)なごや歴史講座
  12016年6月19日(日曜日) 13時30分~15時
   テーマ:肥前名護屋の真田氏陣跡
   資料代:100円
  22016年7月17日(日曜日) 13時30分~15時
   テーマ:肥前名護屋城復元CGの制作とその活用
   資料代:100円
   詳細は「なごや歴史講座」のページをご覧ください。

展覧会のチラシ

展覧会チラシ画像

展覧会「異郷に生きて 文禄・慶長の役と佐賀の被擄人」チラシ(PDF1.4MB)



代表的な展示資料

すべては名護屋から始まった

  • 肥前名護屋城図屏風(桃山時代~江戸時代前期、本館蔵、佐賀県重要文化財) 
    400年前の名護屋城と城下町、大名の陣などを描く屏風の原本を3年ぶりに展示(7月10日まで)。

  • 増田長盛・大谷吉継・石田三成連署状案(1592年、本館蔵)
    秀吉に代わって渡海した石田三成らが、名護屋に残る長束正家らに現地の苦境を吐露した書状の案文。
    乱雑に書かれているが、かえって現場の焦燥感を伝えている。

  • 加藤清正自筆覚書(1592年、本館蔵)
    開戦から半年を経た時期に、朝鮮半島東北部に進軍していた加藤清正が熊本の重臣に対する指示を記したもの。
    下級家臣の妻子に対する手当の必要性や軍備の増強について述べている。
    ※写真は冒頭部分



戦場の涙

  • 安東統宣高麗渡唐記(1594年、個人蔵)
    文禄の役に際して、豊後(大分県)から大友軍に従って渡海した武将の従軍記。
    出陣に際しては親族との涙の別れを記す一方、戦場では「浮世の地獄」と記す光景を目の当たりにしている。
    ※写真は冒頭部分


  • 島津義弘ら連署定榜文(1597年、本館蔵)
    島津義弘や小西行長、鍋島直茂らの連名で朝鮮半島南部の村に示した掟書き。
    戦場となった村から逃亡した人々に、村へ
    帰還しなければ敵とみなすことを示している。


  • 東槎録(16世紀末成立、本館蔵)
    1596年に明国使節とともに来日した朝鮮国使節の副使・朴弘長の日誌。
    往路で寄港した名護屋では1000人を超える被擄人が抑留されていることを記す。




佐賀の被擄人の足跡

  • 鉄絵草文向付(1590~1610年代、佐賀県立九州陶磁文化館蔵)
    多久市の高麗谷窯跡から同様の陶片が出土しており、茶会用に注文を受けて製作されたものとみられる。
    展示では、合わせて高麗谷窯跡から出土した陶片も展示(多久市教育委員会蔵)。


  • 唐人古場窯跡出土陶片(16世紀末~17世紀初め、多久市教育委員会・多久市郷土資料館蔵)
    多久市に所在する「唐人古場窯跡」は、16~17世紀における朝鮮半島の窯の構造に近似することが指摘されており、有田焼の創始に関わったとされる金ケ江三兵衛(李参平)ゆかりの窯ともいわれている。


  • 岸岳古窯跡出土陶片(1580~1590年代、唐津市教育委員会蔵)
    文禄・慶長の役以前から唐津市北波多の岸岳近くで製作されていた草創期の唐津焼の陶片。
    戦国大名・波多氏の庇護(ひご)のもと朝鮮陶工が深く関与したとみられる。


  • 染付山水文水指(1610~1630年代、佐賀県立九州陶磁文化館蔵、佐賀県重要文化財)
    初期の有田焼を代表する優品。
    同様の陶片が有田町の小溝上窯跡から出土している(有田町教育委員会所蔵の陶片も展示)。


  • 洪浩然書「忍」(1657年、本館蔵、佐賀県重要文化財)
    文禄2年(1593年)6月に佐賀の鍋島軍に捕らえられた洪浩然が、藩主・鍋島勝茂に殉じた際に子孫に遺した書。
    「忍 忍すなわち心の宝、忍ばざるは身のわざわい」とあり、被擄人の思いを直接伝える貴重な書である。


  • 鍋島更紗秘伝書(江戸時代後期、佐賀県立博物館蔵、佐賀県重要文化財)
    木版と紙型を用いて模様を染める「鍋島更紗」の染料や工程を図示する。
    冒頭には被擄人・九山道清が伝えたことが記されている。展示期間は7月3日まで。 
    ※写真は部分




朝鮮通信使へ

  • 朝鮮国礼曹俘虜刷還諭告文(1617年、本館蔵)
    朝鮮国において外交を担った礼曹が被擄人に帰国を呼びかけた文書。前回(10年前)の事例を示し、帰国者には様々な特典を与えると述べているが、この時に実際に帰国した者は320名ほどであった。