佐賀県立博物館|佐賀県立美術館

EXHIBITION展示案内

美術館玉手箱2「蒼海・梧竹-書の近代-」

※この展覧会は終了しています。

美術館 2010年6月 1日(火曜日)~ 2010年7月11日(日曜日)

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 本年度第2回目の玉手箱は、佐賀県出身の副島蒼海(そうかい/種臣)及び中林梧竹(ごちく/隆経)の書を紹介します。近代の代表的な書家と称される蒼海・梧竹の作品から、近代的な新しい側面をさぐります。

会期 平成22年6月1日(火曜日)~7月11日(日曜日)
会場 美術館1号展示室B
観覧料 無料

展示資料一覧(5点)

・蒼海(副島種臣)
鄭成功詩額 (ていせいこうしがく) 明治18年冬作 (1885年/58歳) 1面 本館蔵
「帰雲飛雨」額 (「きうんひう」がく) 明治20年代前半作 (60歳代前半) 1面 本館蔵
・梧竹(中林隆経)
「造化真」額 (「ぞうかしん」がく) 明治35年頃作 (1902年頃/76歳) 1面 本館蔵
「勝画亭」額 (「しょうがてい」がく) 明治39年作 (1906年/80歳) 1面 個人蔵 (本館へ寄託)
観帖覚 (かんじょうおぼえ) 制作年不詳 1面 本館蔵

※展示内容は変更することがあります。

人物紹介

副島蒼海(そえじま・そうかい/種臣/1828~1905)

 幕末の佐賀藩士、明治の政治家。佐賀城南堀近くで生まれ、父は枝吉南濠、兄は神陽。32歳のとき副島家の養子となる。父と兄の感化を受け義祭同盟に参加、尊壌論に傾倒する。明治維新後は新政府に用いられ、参与、参議を経て外務卿となる。明治6年(1873)征韓論で下野、同9年(1876)から2年間中国を漫遊。その後、明治天皇の侍講、宮中顧問官、内務大臣などを歴任。漢学をはじめ豊かな学識を有し、また漢詩人、能書家としてすぐれた詩と書を残した。幼名は次郎、名は龍種から種臣に改める。号は一々学人、蒼海(滄海)など。

中林梧竹(なかばやし・ごちく/隆経/1827~1913)

 幕末の小城藩士、明治の書家。10歳代で江戸に留学、山内香雪さらに市川米庵に儒学と書を学んだ。帰藩後、藩校の指南役などをつとめるが、明治4年(1871)の廃藩置県後は役職を辞し書に専念する。明治15年(1882)清国へ渡り(1年半滞在)、帰国後の明治17年以降は東京銀座の洋服店「伊勢幸」に寄寓、以降30年間同所を拠点に旺盛な書作をおこなった。その間、明治30年(1897)には再び清国へ渡る(2ヶ月滞在)。名は隆経、通称は彦四郎、字は子達、号は梧竹。