県立美術館 玉手箱2「書の軌跡-明治6年の副島種臣-」展
※この展覧会は終了しています。
美術館
2012年5月 8日(火曜日)~ 2012年7月 1日(日曜日)
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明治の政治家、漢詩人、能書家として知られる副島種臣(1828~1905)は、明治6(1873)年に漢詩とともに書の制作を開始したと考えられています。
副島は、明治6年に特命全権大使兼外務卿として清国へ渡り、日清修好条規批准書交換及び宮古島民台湾遭難事件の処理などにあたるとともに、同年、清国皇帝(同治帝)に謁見しました。この一連の外交の中で副島は漢詩を詠み、その漢詩を書いた作例が残されています。
今回の玉手箱2では、明治6年に副島が書いた漢詩の書作品を中心とした、最初期の作例を紹介します。ぜひこの機会に御観覧ください。
会期 | 平成24年5月8日(火曜日)~7月1日(日曜日) |
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会場 | 美術館 1号B展示室 |
展示資料 | 5点 「展示資料一覧」のとおり |
観覧料 | 無料 |
ギャラリートーク | 6月16日(土曜日)・17日(日曜日) 14時~14時30分 |
■副島種臣 そえじま・たねおみ 文政11(1828)年~明治38(1905)年 幕末の佐賀藩士、明治の政治家。佐賀城南堀近くで生まれ、父は枝吉南濠(種彰/佐賀藩校弘道館教諭)、兄は神陽(経種/弘道館教諭)。32歳のとき副島家の養子となる。父と兄の感化を受け、兄神陽を中心とした楠公義祭同盟に参加し、尊壌論に傾倒する。明治維新後は新政府に用いられ、参与、参議を経て外務卿となる。明治6(1873)年征韓論で下野、同9(1876)年から2年間中国を漫遊。その後、明治天皇の侍講、宮中顧問官、内務大臣などを歴任。漢学をはじめ豊かな学識を有し、漢詩人、能書家としてもすぐれた詩と書を残した。幼名は次郎、名は龍種から種臣に改める。号は一々学人、蒼海(滄海)など。 |
展示資料一覧
1 | 南海望琉球諸島 (なんかいにりゅうきゅうしょとうをのぞむ) |
1幅 | 佐賀城本丸歴史館蔵 |
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2 | 李鴻章評語 (りこうしょうひょうご) |
1幅 | 館蔵 |
3 | 五言律詩書 (ごごんりっし) |
1幅 | 館蔵 |
4 | 五言絶句書 (ごごんぜっく) |
1幅 | 館蔵(中島甲一氏寄贈) |
5 | 「正大公明」額 (「せいだいこうめい」がく) | 1面 | 個人蔵(佐賀城本丸歴史館寄託) |
李鴻章評語 (りこうしょうひょうご) |
五言絶句書 (ごごんぜっく) |